ToMoNoRiの日記

発達障害のアスペルガーに悩む男

ウクライナの戦争と平和についておもうこと

当事者同士の争いことに、口を割ったり自分の言葉として、断罪してみたり

することの、戦争にたいする心の思いは、当事者同士の勝利の瞬間まで

相対する敗者の苦しみよりも勝る、平和に対する思いとは裏腹に見えてくる

「なぜここまでのことに執着して、人の大事にしている美しき風景を粉々に

吹き飛ばす必要があるのか?」という、聞くニュースのすべてに、感情が

打ち砕かれても致し方ない恐怖の連鎖は、幼い子供の犠牲を必要とするほど

大きな大人でもどうにもできないほど、続いてしまうのか?

人が気になることとして、この先この戦争はどうなっていき、いずれ、両国

の間にどんな問題がおこるのか?という、論争に終始する、日本の現状は

結局のところ、今にも滅びゆくかもしれないウクライナの人々の平和と

復興のおもいとして、今すぐに、砲弾がとんでくるときに景観を整えるために

花を植えたり、音楽を演奏してみたり、国のトップがあらゆる訴えをあきらめない

姿勢にたいして、ただ現状の把握とできるだけの支援をするに至るのみだ。

もし、自国の日本が戦争に巻き込まれ、他国の侵略にたいして、自分たちできる

一番の平和に対する気持ちに、特効薬のようなものがないとしたら、どうするだろう

か?

僕たちは平和と自由を感じる日本の独特のモチベーションがピークにある現代に

、何人たりともそんな、気持ちを抱かせない戦争を経験したら、映画のような

強い人がいるだろうか?

自国の自衛に専守する、日本の戦争に対する平和に対するアピールとして

憲法に書かれた、永久的な戦争放棄という、前提だけで、今いる、すべての

日本人の命はまもられるだろうか?

もし、自分が兵士として戦場に赴くとしても、守るべきものは国なのか

家族なのか、大事な人なのか、はたまた、自分の命なのか?

経済の流れを読むだけの能力やゲームで培った戦闘のノウハウを活かす

ことができても、勝っても負けても、日本は傷を負うことは間違いない。

ウクライナ人の傷つきかたなど、到底理解しえないほど、同情なんかより

この戦争を一分でも止めて欲しい彼らの心はどういたわるべきなんだろうか?

まずは戦争なんて絶対さけなければいけないこと。これは忘れてはいけないと思う。

遊びとか冗談のつもりが、ほんとうの喧嘩になったこととはわけが違う。

双方の意見のとりまとめも大事なのかもとおもうが、やはり、攻め込んだ人の

理由を攻めなきゃならないとおもう。

そこに、どんな理由があろうと、あなたは間違っているということを主張でき

ることこそ、戦争当事者たちの鵜呑みの行為の残虐さを止める術はないじゃない

だろうか?

もし、自分が戦争の理由を正当化できる考えあっても、それをコントロール

することなど、絶対できないようなきがする。

未来にむけて、子供が発する言葉が「この先いつまで続くかわからない

、戦争が怖い」なんてこと、許されていいんだろうか?

人間が平和を享受することなんて、至極当たり前でも、それを、見失うことに

よって、絶望してしまうなんて、想像は絶対してはいけないと思う。

かならず、希望は人の暗い足元を照らし、明るい未来を目指してがんばれること

を確信できることのメッセージとしておもいたい。

「今、自分たちの体をえぐられて、耐え難い苦痛にさらされている、できること

ができているだけでは、どうにもできないのなら、頼ることも可能にもならないでも

未来にたいして自分たちが僕たちに人間の真の結びつきとして、同じ苦しみのなかに

とうじられても、同じことができることを信じてほしいとおもいます。

もし、永遠ともとれる、戦争の苦痛がぬぐえないのなら、あなた方の心に残る

戦争の傷は、きっと、はかない気持ちのなかで、本当のかよわい人の心を

えぐるような、奇跡の事実として生き延びた人の気持ちはきっと、僕らの

感謝にかわることになると思います。」

勝利の女神

oneclover.biz