ToMoNoRiの日記

発達障害のアスペルガーに悩む男

自分思っている自分は想像上のもので、一体、自分が思われていることのすべて

自分が一番好きな感じられ方は、一方的な自分の感じ方なのか?

今、自分あるのは、自分が人のなんでもない姿の象徴であり、ながら

自分とは違う一面をもっている人の、なんでもない形の姿であるのか?

もし、違った自分の中身を、人がよりどころにしているかも?と期待

することの感じ方が好きなら、一時の感情の流れに乗って、気前よく

はしゃいでいる自分として、きっと、でももまた、勇ましい自分の姿

として、とらえきれるのか?

いかんともしがたい、絶望を前にしても、いまなお、自分として、なんとか

いれていることの、基本的な自分気取りとは、いっそ、このまま、勇ましく

かっこよく生きていきたいことの、半信半疑かもしれない。

自分とはなにか?自分とはなにからきたものか?疑問は終始、自分自身の

飾らないところがいい風に形作っているときの、なんでもない、ひとの心に

感情をもたらす、すてきな一面なんだろうと思いたい。

それは、自分がいかにも自分として、らしく思えていることの、感じ入り

かたが、気分とはいえ、人の感じ方の中身の有りようよりもリアルにおもえる

ことよりも、きっと、満足いくか落胆するか、という、簡単な答えだけではなく、自分

の本来もちあわせた、自分の気持ちのスキルとして、感じる、人の気遣いではない、妙

に一息で自分の心を封じてしまうような、自分の落ち着きようがまるでない、今日のあ

る意味、生き急ぎの感じが、流れてくる、僕の息遣いなんだろう。

だから思う、すべての思いは息をのむほど静かに来て、静かにさっていくように

おしよせる期待の波のまえで、なしくずしのような、虚しさの気配が、あっても

まだ、心に寄せる、もう一つの波の予感。

それは、恐怖や恐れなど、後ずさりしたいほどの、毎日の繰りかえしに潜む一瞬の

ほころびのような安堵感に思えるが、実際は、恐怖や恐れこそが、一瞬のものとして

とらえうる、謙虚におごらず、傲慢に態度を変えることなく、人と向き合うことの安心

感であるように思いたい。

もし、自分らしさがそこにありながら、自分と思えないほどの感じ方に対する想像に

たいする自分の思われ方の、本当の姿とは何であろうかわからなくなるなら?

今、自分らしく生きていくことのがんじがらめの自分の姿には、本当の自分の想像と

は、かけ離れた、安堵のない自分の姿が想像としてありうる。だからって、もがき苦し

みながら、永遠の闇の向こうのまだ見ぬ光の世界の想像でいいなんて、途方もない気持

ちの価値観は、自分が思われていることの、ほんの些細な一面であり、さっそうと、毎

日をせっせっとクリアしていくときに、ほんとの不安とか悩みとかが、違う姿の自分と

向き合う答えの持ち合わせかたとして、いかにも、自分らしくないと言えるべきだと思

う。

絶対の世界に、もしもなんて考えが通じないのに、不変の世界にもしかしてはありそう

で、想像している、自分の姿は、もしもやもしかしてにまどろんで逃げているよりも

一方でこう思われているのに、もう一方はこう思っていそうな自分の思われ方に、自分

の想像外の思いがあることの可能性に躊躇せず、踏みとどまらずに、入り込めるかが

本来の自分の想像でいいと思えた。

 

花2

oneclover.biz